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日常開示

2018年05月17日    木曜日     第2 回の開示 合計502回の開示

永明延寿禅師『宗鏡録』抜粋解説

伏して真源湛寂なるを以て、覚海澄明なり、名相の端を絶ち、能所の跡無し。最初の不覚より、忽ち動心を起こし、業識の由を成し、覚明の咎と為る。明に因って照を起こし、見分俄かに興り、照に随って塵を立て、相分安んじて布かず、鏡が像を現すが如く、根身を頓に起こす。

釈:伏して真源湛寂なるを以て、覚海澄明なり、名相の端を絶ち、能所の跡無し。これは如来蔵の体性を説いたものであり、如来蔵は真実にして万法の源であり、清浄寂滅して動揺せず、覚性を具えて万法を覚知する故に覚海と称される。如来蔵の本体には一切の名相が無く、眼耳鼻舌身意無く、色声香味触法無く、眼識耳識鼻識舌識身識意識無く、三界世間の一切法の名と相が存在しない。その自身の名称も仮名に過ぎず、如何なる名称で呼ぼうと後人の仮設に過ぎない。七識の能見性も無く、六塵の所見性も無く、能も所も無く、七識の能所性を絶した存在である。

最初の不覚より、忽ち動心を起こし、業識の由を成し、覚明の咎と為る。無始劫前に意根が如来蔵と共に存在していた時、無明の故に意根が法界の実相を覚知せず、突然心が動いて外に向かい貪求の念を起こす。如来蔵はこれに随順して根身器界を現じ、業行が出現するに至り、第七識が業識と成り、一切の生死過患がここより生ず。その生死の過失は意根が三界世間を明覚せんとする心を起こし、本心自性を守らなかった点にある。

明に因って照を起こし、見分俄かに興り、照に随って塵を立て、相分安んじて布かず、鏡が像を現すが如く、根身を頓に起こす。意根に明らかにせんとする心念有るが故に覚照を起こし、世界を見んと欲する時、七識の見分が忽ち生起する。見分に見んとする心が有る故に、必ず所見の相分塵境が現れ、如来蔵は意根に随順して六塵相分を現じ、能と所がこのように安立される。その後如来蔵は鏡が像を現す如く、瞬時に根身器界を現じ、五陰身が出現し、かくして三界世間が安立されるのである。

——生如法師の開示
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