衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年05月18日    金曜日     第7開示 合計511開示

意根が事を行うことには目的性がある

仏教を学んでいない人は、人として物事を行う際すべてに目的性があります。仏教を学んでいる人も、心が無為に至っていない間は、物事を行う際に大抵目的性があります。この目的性は、どの心が持っているものでしょうか?衆生は物事を行うのに欲望に駆り立てられ、心の中にすべて目的性があり、無欲無求で縁に随い任性に任せて行う者は、鳳の毛や麟の角のように稀です。

物事を行う前の目的性と欲望は、すべて意根のものです。また、意根の欲望や目的性が意識の唆しと教導によって生じることもあります。意根に欲望があってこそ、六識を駆り立てて自分の欲望に従い身口意行を造作させるのです。六識は運行の過程においても、それぞれ自分の欲望を持ち、それがまた意根に影響を与えて転変させ、意根に本来の欲望を滅除させたり、あるいは新たな欲望を生み出させたりします。

もし心量の広大な菩薩でなく、心の一部あるいは全部が無為である菩薩でもないなら、その人が自分の行うことは完全に無欲無求だと言っても、信じない方がよいでしょう。その人があなたに接触しようとやって来るときには、すでに必ず何かを求めており、目的性を持っています。ただ、その目的が正か邪か、善か悪かというだけのことです。

もし意根に目的がなければ、神様は休息し、何もしません。佛陀の意根にも目的性がありますが、それは衆生が解脱を得るためです。佛陀が娑婆世界に来られたのは、目的性を持って来られたのであり、さもなければ仏が来て何をするのでしょうか?目的を持っているのに、自分では知らず、気づけない人、あるいはわざと気づこうとしない人もいます。意識心が細やかでなければ、意根の隠れた欲望と目的を知ることができません。

——生如法師の開示
前へ前へ

意根の念心所と欲心所

次へ 次へ

心法と心所法が共同で運行し、須臾も離れず

ページトップへ戻る