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日常法話

2018年05月18日    金曜日     第6開示 合計510開示

意根の念心所と欲心所

坐禅三昧経:いかにして心とは何か。この心は無常なり、因縁より生ずるが故に。生滅して止まらず。相似して生ずるが故に。ただ倒錯するが故に。これを一と謂う。本来無く今有り。既に有りて還って無し。是の故に無常なり。心の空なるを観じて知る。いかにして空とは何か。因縁より生ず。眼あり色ありて見るべきものあり。憶念して見んと欲す。かくの如き等の和合により眼識は生ず。

六識は空なり、これ因縁より生じたるが故なり。例えば眼識の出生は、一つの条件は眼根あるを要し、一つの条件は色塵あるを要し、一つの条件は憶念あるを要し、一つの条件は見んと欲するを要す。これらの因縁条件が和合して、眼識は生ずるを得る。

ここに問題が生ず:一、どの識が憶念するによって、眼識の出生があるのか。

二、どの識が色を見んと欲するによって、眼識の出生があるのか。

これ意根の憶念性と色を見んと欲する性とが眼識を引き出して色を見しむるなり。されば、意根には念心所があるか。意根には欲心所があるか。

眼識が色を見るは、意識の駆使によるのでなく、必ず意根の駆使によるなり。一切の法は意根の駆使によりて出生す。是の故に意根には必ず憶念性なる念性と欲心所とあり、かくして万法は世間に運行することを得るなり。

——生如法師の開示
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一切法自然性非因縁性非

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意根の目的性を有する所作

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