衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年04月28日    水曜日     第1 回の開示 合計3353回の開示

観行不断こそ修練向上の道

本日の観行記録:この二日間、座禅の際には毎回まず両足を組む跏趘坐(かかざ)を25分間行い、体が熱くなり始めてから片足坐に切り替えています。右足は以前より柔軟になりました。跏趘坐時の心力は片足坐よりも効果的だと感じます。現在は主に止(し)の修行に専念しており、座ると心が落ち着き、「研ぎ済ました刃物は薪割りを遅らせない」という諺の重要性を認識し、感覚や結果を求めることなく焦燥感も消えました。呼吸から着実に実践する覚悟ができています。

座禅開始時はまず呼吸を整え、腹部まで深く吸気しゆっくり吐くことを数分間繰り返し、調整しながらリラックスします。その後『般若心経』を一字ずつ黙誦し、止観の状態に至ったら少し呼吸を観察します。退屈を感じ心が散漫になりかけると、この心はただの認識機能に過ぎず、「我」という依り所は内外に存在せず、夢の如く実体がないと反観します。そうすると欲求が消え心が静止し、観じる欲求もなくなります。45分経って足が痺れ痛み始めてもしばらく耐え、1時間で降座します。

評:観行において身心の状態が揺れ動くのは当然であり、持続することで最終的に安定します。その時こそ観行が定着し、観察対象の呼吸に対する明晰な認識が生まれ、身体現象を客観的に把握できるようになります。情緒を交えず意根が理性的に認知する時、持続的な身心の変化が可能となり、我見を断つ可能性が開けます。

修行を続けることで、意識と意根の役割が明らかになります。経典に説かれる「聞法即証果」の事例は、過去世からの修行の積み重ねがあってこそ成り立つもので、三十七道品の実践なくして得られるものではありません。我々は四念処観を通じ戒定慧を修め、善根福徳を培い、着実に因縁を整えることで我見を断ち切る基盤を築くべきです。

——生如法師の開示
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観行は馬繋ぎの杭の如く、意根の馬を繋ぐものなり

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