衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年04月28日    水曜日     第2 回の開示 合計3354回の開示

観行は馬繋ぎの杭の如く、意根の馬を繋ぐものなり

青天1の観行記録:坐禅を組み、能動的な腹部の深い呼吸を採用。吸気時に最大限に達したら少し留め、その後呼気を最大限に出し、再び少し留める。約30分間の深呼吸後、明らかな気感を覚え、次第に自然な腹式呼吸へ移行。 

四念処経の教えに従い、呼吸中に他の事柄を思考せず、常に呼吸への覚知を保つ。この時初めて、自らの念が時折湧き上がることに気付く。時に念を制御することは確かに困難で、その主内容は最近頻繁に接する人物の容貌である。接触が多ければ多いほど、その容貌の想起は強烈になる。古人が修行時に人里離れた場所を選んだ理由が今理解できる。これこそまさに意根の縁に攀じる性質と習慣性であろう。坐禅終了間際になってようやく、脳内に徐々に清明さを感じ始める。 

本日の坐禅は凡庸な感覚で、心の静寂に欠け、坐中に頻繁に接触する人物の顔が理由なく浮かび、自然な腹式呼吸も深く長く続かなかった。 

評:ここには意根の遍計所執性が顕著に現れている。かつて接した境界への執着が、有意義無意義を問わず注意と執着の対象となり、心を休めることを拒む。この野生の馬を調伏するには、呼吸という柱に繋ぐ必要がある。当初は暴れ回るが、時が経てば慣れ、静まり、柱とその周囲の景物を観察研究し始める。これこそが道に入るということである。

——生如法師の開示
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