衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月23日    水曜日     第6 回の開示 合計536回の開示

大般涅槃の真意

《大涅槃経》原文:**いかなるものを秘密の蔵と名づけるか。ちょうどイ字の三点のごとし。もし並べばすなわちイ字を成さず、縦にしても成さず。魔醯首羅の面上の三目のごとく、すなわちイ字の三点を成す。もし別々にしても成し得ず。我もまたしかり。解脱の法もまた涅槃にあらず、如来の身もまた涅槃にあらず、摩訶般若もまた涅槃にあらず。三法各別なるもまた涅槃にあらず。我いまこの三法に安住して衆生のために故に涅槃に入ると名づく。世のイ字のごとし。**

釈:イ字とはインドの字体において、三点が並列せずに構成された文字である。三点は横にも縦にも並ばず、不一不異の関係を成す。法身・般若・解脱の三者もまた同様に、互いに不一不異の関係を有し、三者共に仏地の大涅槃を成就する。

単独の法身は涅槃にあらず、単独の解脱は涅槃にあらず、単独の般若は涅槃にあらず。三者が関連しなければ涅槃にあらず、三者が密接に関連して初めて涅槃となる。如来は法身を証得し、同時に大般若智恵と究竟の解脱徳を具えてこそ真実の涅槃である。阿羅漢の解脱には法身徳と般若徳がなく、その解脱も究竟ではないため、真実の涅槃とは言えない。

法身徳とは、我々の円満清浄なる自性清浄の本心たる如来蔵であり、一切の法を円満成就し、無量の功徳を一身に具える。般若徳とは、我々の真如性体の具える大智恵の境界であり、空にも有にも偏らず、即空即有にして真空妙有を具現する。解脱徳とは、我々の心体本性が三界に障碍されず、一法にも住せず、一法にも執着せず、万像を生じながらも一像にも染まらず、自ら清浄裸々として一物も掛けないことである。

解脱・法身・般若の本体は皆真如であるが、真如は解脱と等同せず(真如には法身徳もあり)、般若智恵徳も具える。真如は法身と等同せず(真如には解脱徳と般若徳もあり)、般若智恵とも等同しない(真如には法身徳と解脱徳も具える)。法身・般若・解脱を一体に集めたるが故に大涅槃となる。菩薩たちは法身を分証しているが、般若道種智が円満でなく解脱も究竟ではないため、大涅槃ではない。ただ仏世尊のみが完全に法身・般若・解脱の三法に安住し、諸衆生のために故に仮に涅槃に入ると名づくるが、実は住する所なく入る所もなく、これを大般涅槃と称する。

——生如法師の開示
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