衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月24日    木曜日     第1 回の開示 合計537回の開示

衆生の意根と業種の相応

衆生の意根は必ず業種と相応し、地獄に至れば、意根は地獄の衆生の習気を現じます。餓鬼道に至れば、衆生は必ず餓鬼の習気を現じます。畜生道に至れば、衆生は必ず畜生の習気を現じます。人間界に至れば人の習気があり、天人となれば天人の習気があり、阿修羅には阿修羅の習気があります。菩薩には菩薩の習気があり、菩薩が劫を経て衆生を教化すれば、必ず衆生を教化する習気があります。菩薩のこの習気は当然良い習気であり、衆生が菩薩の習気と相応すれば、即ち菩薩となります。

もし前世で某道に長く生存していたならば、その道の衆生の習気を有し、他の道に至っても、意根は相応して元の習気を現じます。例えば仏の大弟子である憍梵波提は四果の阿罗汉でありましたが、前世五百世にわたり牛であったため、反芻の習気を有し、人間として阿罗汉となっても、食事は依然として牛が草を噛む様に似ていました。ある者は餓鬼の習気を有し、前世で長く餓鬼であったため、ある者は阿修羅の闘争を好む習気を有し、前世で長く阿修羅であったため、瞋心と瞋習が極めて堅固で、菩薩となっても、なお一部の阿修羅の瞋習を表すことがあります。

——生如法師の開示
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