富貴と修道の難しさ
我々が住む地球世界は須弥山の南にある南贍部洲に属し、須弥山の北には北倶盧洲、東には東勝神洲、西には西牛賀洲があり、これらを四大洲と申します。北倶盧洲の人々は寿命千歳に至り、容貌端正で生活豊か、労せずして必要な物資が自然に現れ、金銀財宝七宝具足し、大いに享楽に耽ります。しかし衆生は五欲の楽しみを求め、仏法を学ばず解脱を求めないため、北倶盧洲に仏法は存在せず、修行者もおりません。ただ南贍部洲の我々は苦楽相伴い、苦しみに耐えかねて離苦の道を求め、仏法に遇えば苦を断つために修行するのです。純粋な享楽の世界では仏法は存立し得ません。もし我々が北倶盧洲や天界に生まれれば、仏法を学ぶことは極めて困難で、まさに「富貴修道難」と申す所以です。
例えば忉利天では歓楽極まりなく、天子たちは日々遊楽に興じ、娯楽以外に事無きが如し。帝釈天は苦言を呈して天子らに仏法を学ぶよう勧め、時に天鼓を鳴らして善法堂に経を聞かせ、五欲の楽しみに耽ることを禁じます。天界の福徳が尽きれば、再び三悪道に堕ちて苦しむことになるからです。我々が天界に往生しても同様に仏道修行は叶わず、故に「富貴修道難」、順境における仏法修学の難しさがここに在るのです。
1
+1