さまざまな我見(ātma-dṛṣṭi)の中で、受陰を我とする人が最も多く、受陰を重視する人が最も多く、覚受のために業を造る人が最も多い。面子のために生きて苦しむというのは、識心の覚受のために色身に苦しむことである。そういう人は少なくない。歴史上、名を残すために死んだ人は大勢いて、それは名垂千古と呼ばれる。義理のために死ぬ、面子のために死ぬ、虚栄のために死ぬ、名誉のために死ぬ、……のために死ぬ、そういう人は実にあまりにも多いのではないだろうか?
こうした人々はいずれも深刻なまでに識心を我とする人であり、いずれも識心への執著が色身への執著よりもさらに深刻な人々である。
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