衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年04月21日    水曜日     第3 回の開示 合計3330回の開示

『父子合集経講話(二一七)』

菩薩の大願

菩薩は依るべきものなき者に対し、主宰となるべきことを願い起こすべし。衆生は実に全て寄る辺なく、苦悩に満ち孤独なり。この世に生きる我々は家族眷属に依るべきものある如く見えど、全ての親族は頼りにならず、彼らもまた孤独苦悩の身にして、依り所を必要とす。人は皆寄る辺なく、寿命尽きれば孤独に旅立つ。三悪道においては、最も親しき眷属すら同伴できず、見知らぬ孤独と寂寥と苦痛の道を独り往くのみ。故に菩薩はこれらの寄る辺なき衆生の依り所となり、光明へ解脱へと導くべきことを願い起こすべし。

菩薩は自ら救われた後に、さらに他を救うべきことを願い起こすべし。己が救済を成就してこそ他を救える。菩薩に救済の心あれども自らが輪廻の苦海に在るならば、衆生を救う力なし。譬えば遠方の美しい風景の地に行ったことがない者が、人を導いて共に景観を楽しむこと叶わず、道中に迷い遂に目的地に至れぬが如し。故に先ず自ら風景の地に至り、目で美景を確かめ、途上の道筋を明らかにしてこそ、人を導き共に往くことが叶う。これが自らが度されて後に人を度す道理なり。

菩薩は自ら解脱を得て後に、他を解脱せしむべきことを願い起こすべし。己が三界を脱し束縛を離れてこそ、他を解脱の正道へ導ける。自ら解脱を得ずしては解脱の正路を知らず、衆生を解脱の道へ導くこと叶わず。

菩薩は自ら安穏を得て後に、他を安穏ならしむべきことを願い起こすべし。仏は既に涅槃の彼岸に至り、究竟の寂滅楽を得て身心安穏なり。衆生を救い安穏ならしめんが為、再び三界に戻りつつも身心の安穏自在を保ち、娑婆世界の五欲六塵に惑わされず、かくして衆生を次第に安穏へと導く。釈迦牟尼仏が娑婆世界に八相成道し、悉達多太子として生を受け五欲に囲まれつつも、太子の心は早くもこれらの世間の境界を離れ、如何なる境界にも染まらず心の安穏を得、全ての境界に於いて迷いなく、かつ世間の欲望と親情を捨てて断固出家修道し、成道後は無量の衆生を広く救済し始め給いき。菩薩たちも諸仏の行いに習い、精進修行して身心の安穏を得たる上で、無量の衆生を安穏ならしむべし。若し自心未だ安穏を得ず、貪愛と執着を絶たざれば、五欲六塵に容易く惑わされ、悪業を造り苦を受け続け、かくの如く自らすら安穏を得ざれば、如何にして衆生を安穏ならしめん。

——生如法師の開示
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