衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年04月21日    水曜日     第2 回の開示 合計3329回の開示

父子合集経講義(二一六)

険難な所の導師

菩薩は険難な所において導師となることを誓願する。どこが険難かというと、三界に安らぎはなく、まるで火宅のようである。三界には安全で太平な場所など一箇所もなく、全てが火宅のようなものだ。『法華経』の喩えでは、三界は燃え盛る家屋のようで、家の中の衆生はなおも屋内で遊び戯れ、苦難が迫っていることも知らず、火宅から出ることを知らない。仏は苦難の中にあって脱出できない衆生を慈悲深く思い、火宅の外から再び三界の火宅に戻り衆生を救済する。しかし我々はなおも三界の中で遊び戯れ、すぐに烈火が燃え盛り全ての帰路を断たれ、周囲には悪鬼や猛獣が充満し、家屋も崩壊寸前という危機的状況にありながら、全く気付いていない。『法華経』の喩えは全て、衆生が愚かにも生死の険難な所にいながらそれを知らないことを説いている。ここに仏の大慈大悲が見て取れよう。本来なら人間の色身という殻を捨て去ることができるのに、再び人間の甲殻をまとって人中に生まれ、我々を救済するために戻ってくる。まさに無縁の大慈、同体の大悲である。我々も仏のように、将来いかなる険難をも恐れず、誓って衆生を救済すべきである。

導師となる前提条件とは何か。それは既に生死の険難な所を乗り越え、導き手となる能力を備えていることだ。どこが険難か、どこに危険があるかを知らなければ、衆生を導いて危険から脱出させることはできない。故に我々はまず、如何にして三界を脱するかを理解し、三界を脱する能力を身に付けなければならない。そうして初めて振り返り衆生を導き、険難を避けて安楽の処へと帰依させることができるのである。

——生如法師の開示
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