問:なぜ禅定があれば定福があるのですか?
答:定は欲界定・色界定・無色界定に分かれます。心がそれぞれ欲界天の境界・色界天の境界・無色界天の境界と相応じるため、命終した後は欲界・色界・無色界天に生まれ、天人となり天界の殊勝な果報を享受し、相応する禅定の中で楽を受けるのです。故に定には定福があります。定福とは世間の福であり、世間で享ける福、三界世間における福を享受するものです。
定は清浄を表し、清浄こそが福です。多くの人が清浄になりたいと思いながら清浄になれないのは、清浄の福がないからです。定は身心を安楽自在にし、故に定には定福があります。定は煩悩を降伏・消除し、煩悩なき心で解脱を得るため、定には定福があります。定は智慧を生起させるため、定には定福があります。定は雑念と雑事を排除し、干渉を退けて清浄な歓喜の時を享受するため、定には定福があります。定は無量の神通力を発起し、広大な殊勝な行を起こし、自利利他を成し遂げ、一切の世間・出世間の事業を成就し、一切の世間・出世間の智慧を成就するため、定には定福があります。
定は災難を避けることができます。例えば四禅定は捨念清浄であり、三災が及ばないため、定には定福があります。心念がある限り災いを招き、特に煩悩を伴う大きな造作があれば、更に災難があります。心が清浄で念想を捨て、欲も求めなければ、災いを感ずることはありません。しかし四禅定も究竟のものではなく、禅定が消滅すれば苦受が現れます。あらゆる禅定は生滅するもので、証果せず心を明かさず、相当に高い智慧の次元に至らなければ、禅定は消滅します。消滅後は煩悩と災難が再び現れます。見道を得ていない定福は全て有漏の福であり、福が尽きれば消滅します。故に禅定から生じる解脱の智慧を追求すべきです。これこそが永久不滅の殊勝な果報なのです。
2
+1