真如に倣い平等性智を証得する
我々は真如仏性の道理を理解した後、真如阿頼耶識に倣い、その衆生を平等に扱う心の行いを学ばねばなりません。衆生の第七識が何をしようとも、それに合わせて無私に奉献し、求められるままに与え、音声を求めれば音声に変じ、色塵を求めれば色塵に変わります。その心が善か悪かを問わず、衆生の心に随って一切を布施し、平等に衆生に順じます。不平等の心は虚妄の心であり、平等の心は仏の心です。仏は衆生を皆仏と観じますが、衆生は仏を見る時は三十二相を見ます。もし仏が三十二相を現さなければ、衆生は仏を凡夫として扱います。衆生は眼が開けておらず、外相しか見えず、本質を見ることができないからです。我々は精進して仏法を修行し、一日も早く平等法性を証得し、真如仏性を悟り、早く平等性智を具えるべきです。
この大乗法は声聞や辟支仏の境界ではなく、大乗菩薩の法要であり、菩薩が修証する如来蔵の法です。声聞と辟支仏は二乗法のみを修学し、世俗界の五陰十八界が虚妄であることを証得し、人無我を悟り、五蘊十八界への貪執を断じて解脱を得ますが、阿頼耶識と仏性を証得できず、平等法性を悟らないため、平等性智も具えません。
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