仏の第七識も平等性を具える
仏の第七識も平等性を具えておられる。衆生を平等に観じ、その相は異なり不平等であれども、その本性は平等にして皆如来蔵性であることを知っておられる。仏は衆生に仏性が具わることを観じ、仏性は平等にして差別なきものゆえ、外相を見られることはない。故に仏は善人悪人を分別せず、善人のみを救い悪人を救わぬという不平等心は存在せず、縁熟する者には一律平等に救済される。凡夫の心は不平等であり、他者の外相のみを観察し得ても内在する平等の仏性を見ることができず、無始劫来より相に執着する習性が自然となり、差別相の中にも無差別性が存在することを知らない。しかし初地の菩薩は六七識が初めて識を智に転じ、第七識は一分の平等性智へと転換される。世俗の一切法を観ずるに、その実質は全て如来蔵であることを知るが故に、その心もまた平等性を初めて具えるのである。
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