衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年04月12日    月曜日     第4 回の開示 合計3297回の開示

『父子合集経講話(二〇五)』

仏教徒は福徳と智慧を勤勉に修めるべきである

無上菩提を証得する功徳は極めて殊勝であります。第一に世俗法における果報として、あらゆる富足と安楽を得ることができ、仏法を修学して道果を証得した者は悪趣に堕ちず、第二に生を受ける所では富貴栄華の果報を享受いたします。過去の禅師方々が大乗の果を証得された後、再び人間界に生を受ける時は皆、国王や大臣となられました。証得された果位が高ければ高いほど、天上界や人間界における地位も高くなります。これを世俗法の富楽と申します。

我々仏教徒もまた、福徳と智慧を多く修めるべきであります。福徳を修める功徳は、私たちが世俗法における富貴を得る縁ともなります。仏は両足尊と称されますが、両足とは何を指すのでしょうか。福徳と智慧の二つが具足していることを意味します。智慧のみあり福徳なき者は仏となることができず、福徳なき者は世俗の人々の礼敬・恭敬・供養を感得することができません。故に経典を読誦する時、これは福徳を修めると同時に智慧も修めることになります。座禅もまた福徳を修める行であり、仏を礼拝することも福徳を修める行であります。ましてや財施と法施をもって衆生を利楽することは、更に福徳を修めることになります。福慧両足尊、この二つの面が共に円満に具足してこそ、初めて無上士となることができるのです。

——生如法師の開示
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