仏教徒は福徳と智慧を修めるべきである
無上菩提を証得する果報は極めて殊勝である。第一に世俗法における果報として、あらゆる富足と安楽を得ることができ、仏法を修学して道果を証得した者は悪道に堕ちず、第二に生まれ変わった先でも富貴栄華の果報を受ける。過去の禅師たちが大乗の悟りを証得した後、再び人間界に生まれ変われば皆国王や大臣となることができ、証得した果位が高ければ高いほど、天上界や人間界における地位も高くなる。これを世俗法における富楽という。
我々仏教徒もまた、福徳を多く修め、智慧を修めなければならない。福徳を修める功徳は、私たちに世俗法における富貴をもたらす。仏が両足尊と呼ばれるのはなぜか。福徳と智慧の二つが具わっているからである。智慧のみあって福徳がなければ成仏できず、福徳がなければ世の人々の礼敬・恭敬・供養を感得することもできない。したがって経典を誦するとき、それは福徳を修めると同時に智慧も修める行為であり、座禅も福徳を修める行いであり、仏を礼拝することも福徳を積む行いである。ましてや財施や法施によって衆生を利楽することは、さらに大きな福徳を修めることになる。福徳と智慧の両足を具えた尊き存在こそが、真の無上士なのである。
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