生死も涅槃も空華のようなものですが、如来蔵の本体には生死もなく、空華もありません。ただ如来蔵だけが空華ではなく、これを除いて、一切の法はすべて空華です。この法がいかに神聖であろうと、いかに独特であろうと、いかに貴重であろうと、いかに荘厳であろうと、いかに得難いものであろうと、いかにいかにであろうと、成仏を含め、弘法利生を含め、一切の事業を含め、すべては夢幻の空華です。菩薩はこの理を証得して初めて心を休めることができ、心を休めることができるのです。
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