衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年06月08日    金曜日     第3開示 合計610開示

如来蔵の証自証分(四)

第六に、衆生が臨終に際して、多くの人は自分が死ぬことを知らず、いつ死ぬのかも分からない。しかし如来蔵が業種を了別すると、衆生がいつ死ぬべきかを知る。死の直前に、如来蔵は業種に基づいて、命が残りどれほどあるか、現在の身体の状態はどうか、次の瞬間の身体はどうあるべきかを知っている。したがって、衆生が死ぬ前に、如来蔵はいくつかの警覚信号を発して衆生に知らせる。

実際には末那識に了別させるのであり、意図的に末那識に了別させているわけではない。如来蔵は永遠に無意の運作、無心の運作である。末那識が如来蔵の運作によって現れた法を了別すると、近い将来に起こるべきこと、一年二年あるいはさらに長い期間に起こることを知る。末那識が知った後、再び様々な方法で意識を警覚させ、意識に知らせる。これは能動的であり、意図的であり、思心所の運作を伴う。しかし如来蔵にはこのような心行はない。これが如来蔵の運作と七識の運作の違いであり、如来蔵にも独自の心行はあるものの。

衆生の第六識は業種を了別せず、後知後覚であり、先見の明を持たない。したがって第六識は必ずしも自分が死ぬことを感じ取れるわけではなく、如来蔵と末那識の警覚暗示が必要である。暗示を得た後も、第六識は必ずしも気づけるとは限らない。もし第六識が比較的敏感であれば、自分がもうすぐダメになるかもしれない、この一生が終わりに近づいていると感じ取れるかもしれない。

如来蔵は刹那に色身を変え、色身の様々な状態を顕現できる。末那識は色身の状況を了別し、身体の状態が何を意味するかを知っている。ただ第六識はあまり明確ではない。如来蔵が死の兆候をすべて顕現した時、第六識は完全に了知し、疑いがなくなる。如来蔵の業種に対する了知と、衆生が死ぬことに対する了知は、確信に満ちている。したがって衆生を警覚させ、衆生に自分が死ぬことを知らせ、心の準備をさせる。この確信こそが如来蔵の証自証分である。

以上の分析と整理から、我々は知るべきである。如来蔵には見分と相分だけでなく、自証分と証自証分もある。この四分はすべて重要であり、功徳は非常に広大である。如来蔵はこの四分に依って、三界世間の万法を成就し、理のままに衆生の因縁果報を実現し、衆生の行いをすべて無駄にならせない。この四分はほとんどすべて、如来蔵の有為法における運作に現れている。これほど多くの有為法の運作があるにもかかわらず、如来蔵は初めから終わりまで無為の心行であり、決して何ものにも貪着せず、何ものにも執着しない。衆生に顕現するのはすべて心量広大な偉大な存在の相である。我々の七識心は本当にしっかりと如来蔵に学ぶべきであり、そうしてこそ比類なき自在を得ることができる。

——生如法師の開示
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