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日常法話

2018年06月10日    日曜日     第4開示 合計619開示

如来蔵の了別は意根の了別と異なります

問:末那識が縁する帯質境は、これは法塵なのか、それとも如来蔵の見分なのか。意根が法塵を縁することと、如来蔵の見分を縁することは、どのように整合させるべきか。

答:如来蔵の運行は、自らの五遍行心所法——作意・触・受・想・思——に依る。五つの心所法が本質境において運行すれば、業種や衆生の根身・器界に対して了別作用を持ち、見分作用を持てば、一切の法を見、一切の法を照了する。この一切の法は全て如来蔵の見る相分である。そして如来蔵の思心所が運行した後、帯質境が顕現する。これは如来蔵の思心所が変造したものであり、帯質境とは即ち如来蔵の相分であって、如来蔵の見分が運作した結果であり、見分が顕示した法塵である。

第七識は如来蔵の見分に依って、如来蔵の見分が引き起こした相分——帯質境——を縁することができる。故に第七識は如来蔵の見分を縁することはできるが、如来蔵の見る相分とは異なる。一方は本質境であり、もう一方は本質境に依って変起した相似境である。鏡の中の火のように、これは幻化されたものである。如来蔵の見分の見る本質境も如来蔵が幻化したものではあるが、第七識の見る帯質境は幻中の幻であり、二次的な変現である。

勝義根における相分は帯質境と独影境である。帯質境には真帯質と仮帯質が含まれ、変帯と狭帯に分かれ、色法もあれば心法もあり、非色非心法もある。如来蔵が縁する本質境は四大で構成された微粒子であり、比較的粗重で実質的な色法である。一方、帯質境の色法も四大微粒子で構成されてはいるが、微細な色法であり、あまり実質的ではなく、比較的虚妄である。あたかも人類の色身と鬼神類の色身の差のようである。本質境を例えば四大で構成された火や水、大地山河などとすれば、帯質境は鏡の中の火や水、大地山河などに喩えられる。一方は実、もう一方は虚である。七識は虚法しか了別できず、実法は如来蔵のみが了別しうる。

——生如法師の開示
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