衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年06月10日    日曜日     第2開示 合計617開示

話頭を念じる、話頭を看する、話頭を参究するの三者には区別がある

話頭を見るというのは定力を修めることであり、心を一つの言葉の前頭に住まわせ、文字や言語を出さないようにすることです。定力が不足しているときには、文字や言語が出てきてしまい、心の中で声が絶え間なく続きます。これが話頭を念じるということです。つまり、定力がないからこそ、心の中で一つの言葉を繰り返し繰り返し反芻するのであり、定力があるときには、心の中の声も文字の相もすべて消え去らなければなりません。

話頭を見る際に定力が十分であれば、話頭を参じることができ、この言葉の意味を参究することができます。文字や言語がほとんど現れず、情思意解に陥ることなく、はじめて真の証悟を得ることができ、解悟にとどまることはありません。定力の不足している人は、もし悟りを得ようとするならば、解悟しか得られないのです。

——生如法師の開示
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壇経段落釈義

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