看話頭は定力を修めることであり、心を一つの言葉の先に留め、文字や言語が現れないようにすることです。定力が不足している時、文字と言語が次々と現れ、心の中の声が絶え間なく続きます。これが念話頭と呼ばれるものです。故に定力がなければ、心の中でひたすら一つの言葉を反復し、定力があれば心の中の声と言語の相は消滅します。
看話頭の定力が十分に備わった時、初めて話頭を参究することができ、この言葉の意味を探究する段階に入ります。この時文字言語はほとんど現れず、情思による解釈に陥ることなく、真の証悟に至ることができます。これは解悟ではなく真実の悟りです。定力が不足している者が悟ろうとする場合、得られるのは解悟に限られます。
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