衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年04月06日    火曜日     第4 回の開示 合計3275回の開示

父子合集経講話(一九二)

涅槃は寂静の状態が顕現したものである

もし我々が涅槃を得たならば、三界の世間法が滅し、五蘊が滅し、十八界が滅し、身が滅し、心が滅し、感受が滅し、想念が滅し、身口意の行為造作が滅し、全てが滅尽して、ただ阿頼耶識のみが不生不滅で清浄寂滅する。この状態を涅槃と称する。五蘊十八界が滅したこの状態そのものもまた空であり、生滅変異するものであって、永遠不変ではない。涅槃の境界もまた来るところなく去るところなく、涅槃に入る者もなく、涅槃を出る者もなく、作る者も受ける者もない。

故に涅槃は真実の有ではなく、寂静の状態が顕現したものであり、世間の喧騒の現象と同様に実体のない幻化的なものである。この状態もまた空であり、ただ阿頼耶識のみが空でなく、その他は全て空である。涅槃には相がなく、空の境界さえも空であり、阿頼耶識を離れてこの空があるのではない。

一切の法には作る者もなく、受ける者もない。四果阿羅漢を証して涅槃に入っても、四果を証した人もなく、涅槃に入った阿羅漢もなく、寂滅の楽しみを受ける阿羅漢もない。誰が涅槃の寂滅の楽しみを受けるのか。このような人を見つけることができるか。涅槃には人もなく阿羅漢もいない。もし存在するならば、それは涅槃ではない。阿羅漢の色身が滅し、識心が滅し、五蘊の作用が滅し、十八界の現象が滅した故に、涅槃の中には阿羅漢もなく、寂滅の楽しみを受ける者もない。

——生如法師の開示
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