五蘊の集合体は虚妄であり、幻化した仮合を衆生と名づく
例えば数人が集まって団体を形成しても、その団体もまた虚妄である。各人が離散すれば団体は消滅する。この団体は縁起によって仮に成立したもので、実体なく生滅自在であり、真実性を有しない。単なる概念的名称に過ぎず、集合状態を指し示すための方便である。甲乙いずれを団体と呼ぶべきか、個々の要素も集合体そのものも真実の団体たり得ず、ただ縁起によって生じた仮象に名称を付しているに過ぎない。一切の法も同様に、強いて名付けられた仮称である。
五蘊もまた然り。諸縁によって仮に現れた状態であり、生滅散滅を免れない。見る・聞く・味わう・触れる等の諸機能が分散すれば五蘊は消滅する。故に衆生の五蘊も実体を有せず、団体の分析と同様に、その名称は任意である。この五蘊形態を人と名付け、別の形態を蟻や蚊と呼ぶのは、単に分別を容易にするための方便に過ぎない。五蘊の機能が消散する時、衆生という仮合は存在し得ない。いわゆる衆生とは全て幻化した仮合の相なのである。
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