衆生无边誓願度煩悩无尽誓願断法門無量誓願学仏道無上誓願成
仏法の修行は七識の妄心を修めること
要約すれば、修行とは七識の妄心を修めることであり、妄心が修まれば心が清浄となり、阿頼耶識に悪業の種子がなくなれば仏となり、自らの本来の面目を回復できるのである。現在私たちの阿頼耶識に含まれる業種は染汚し、無明を有している。私たちの七識心には貪瞋痴の煩悩があるが、仏の七識心は全て清浄であり、既に識が智に転じ、徹底的に無我となっている。
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戒・定・慧の三無漏学の機能
父子合集経講話(一八八)