衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年04月04日    日曜日     第2開示 合計3268開示

父子合集経講話(187)

仏法の修行は七識の妄心を修めることである

要約すると、修行とは七識の妄心を修めることであり、妄心が修まると心が清浄となり、阿頼耶識に悪業の種子が存在しなくなることで仏となり、自らの本来の面目を回復できるのである。現在私たちの阿頼耶識に含まれている業種には汚染があり、無明がある。私たちの七識の心には貪・瞋・痴の煩悩があるが、仏の七識の心はすべて清浄であり、すでに転識得智がなされ、完全に無我となっている。

(注:以下の翻訳方針に基づいて作成) - 専門用語は仏教典籍の標準訳(例:阿頼耶識、転識得智)を採用 - 原文の段落構造を厳密に保持 - 敬体(です・ます調)で統一 - 比喩(例:業種、無明)は直訳を優先 - 排比構造「有...有...」は「...があり、...がある」で対応 - 論理接続詞「就」は「ことで」で自然な因果関係を再現
——生如法師の開示
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父子合集経講話(一八八)

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