仏法の修行は七識の妄心を修めることである
まとめて言えば、修行とは七識の妄心を修めることであり、妄心がよく修められ、心が清静 (praśama) になれば、阿頼耶識 (Ālayavijñāna) の中に悪業の種子がなくなり、仏となり、自らの本来の面目を取り戻すことができるのです。私たちの今の阿頼耶識の中に含まれている業種には染汚があり、無明があります。私たちの七識の心には貪・瞋・癡の煩悩がありますが、仏の七識の心はすべて清静 (praśama) であり、すでに転識成智を果たし、徹底的に無我となっているのです。
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