衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2021年04月04日    日曜日     第1 回の開示 合計3267回の開示

戒・定・慧の三無漏学の機能

戒定慧の三無漏学の功用

漏とは貪瞋痴の煩悩漏・種々の無明漏を指す。漏れ落ちるのは善法・善願・善心・善根である。心善であれば輪廻の苦から脱し、心善であれば仏道を成就する。善法が漏れれば即ち悪不善法となり、生死の輪廻の苦は断ち切れない。故に修行によって心の無漏を達成し、無明を除去せねばならない。心の無漏を実現する主な三つの道は戒定慧の三無漏学である。戒を保つことで心を無漏にし、定を修めることで心を無漏にし、慧を修めることで心を無漏にする。

何故戒を保つことが心を無漏にするのか。戒を保てば心は戒律に背かず、悪をなさず、貪瞋痴の無漏煩悩業を造作しない。時が経ち慣れれば、心は自然に悪業を造作せず、煩悩は降伏され、善法は増長し、四正勤が修められる。長期にわたり戒を保てば、心は効果的に収められ、縁に攀じることなく、禅定が現れる。

何故禅定が心を無漏にするのか。定中の心は作為なく、縁に攀じず散乱せず、貪瞋痴の染汚業を造作しないため、煩悩が降伏される。出定後も慣性作用により定力が一定程度保持され、縁を喜ばず、心安らかに造作せず、依然として煩悩を降伏できる。未到地定が具足すれば欲界の五品煩悩を断除し、初果向となり、現世で初果証入の因縁条件を得る。

外道の四禅八定の定力は更に強く、欲界九品の煩悩惑だけでなく色界九品の煩悩惑も降伏し、無色界九品の煩悩惑までも降伏できる。この降伏は断除・断尽と同義ではない。五蘊無我の智慧を欠くためである。四聖諦の理に遇い、深甚な禅定力に依り、念を斂めて稍々思惟すれば即ち道を証し、煩悩を断尽し、身心脱落する。四果阿羅漢を証得すれば、鬚髪は自然に脱落し、袈裟を著ける。これは煩悩断尽を表し、自然に出家者となる。三果以前は煩悩の残留があるため、鬚髪自然脱落・袈裟著身できず、自然に出家者とは成り得ない。故に在家の身で比丘戒・比丘尼戒を受けずに出家者とならんとする者は、煩悩を断尽し鬚髪自落・袈裟著身せねばならず、人の剃度を要しない。在家の身に一絲の煩悩あれば即ち在家である。出家者と自称すれば強いて僧宝の身分を盗み取り、僧俗を混淆する極重罪となる。

何故智慧が心を無漏にするのか。無我の四聖諦理と大乗真理を証得する智慧は無明を破る。心中に我無ければ再び我のために造作せず、我為さずして私無し。私無きは即ち善なり。善は煩悩を破り、心は無漏となる。我あれば即ち罪あり、我あれば即ち煩悩あり、我あれば善法を漏らす。この無漏慧は戒と定を基盤とする真実の慧である。戒定なき慧は乾慧にして実用価値無し。戒定慧の三者は一体となり、共に一切の煩悩を断尽し、善法は永く漏れること無し。善法が円満具足すれば、即ち仏と成る。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

父子合集経講話(一八六)

次の記事 次の記事

父子合集経講話(187)

ページのトップへ戻る