十悪業とは何でしょうか。
無知なる凡夫は快い触受に愛楽を生じます。快い触受とは意識を大いに喜ばせる身体の触覚を指し、これを妙触と申します。例えば柔らかな衣類に触れる感覚、温かな陽光、快適な寝床などが挙げられますが、中でも男女間の触れ合いが主たるものとなります。欲界は主にこの触覚によって成立している世界でございます。身根と身識が接触する対象を触塵と称し、例えば温かな陽光が身体に触れる、冷風や熱風が肌に当たる、柔らかいあるいは硬い衣類の感触など、身識が感知する一切のものを触と申し、その対象となる法を触塵と申します。飢えや渇き、胃の感覚も触塵に含まれ、坐禅で身体が軽安を得た際の快適感もまた触塵でございます。
凡夫が最も貪着する快適な触受は、主に男女の接触でございます。男女が触れ合う時、愛楽心と貪愛心が生起し、心が染まります。これは第六意識を主とする貪愛で、眼識や身識も関与しますが、主に意識の感受に基づきます。意識が染着を生じると業を造作し、愛楽の次の段階では必ず業行が現れます。修行なき者は身口意の愚かな業行を現じ、修行者でも時に内心に染着があれば身口の業行を造作せず、最も優れた修行者は心にすら染着しません。造作される業行は、身業に三種(殺生・偸盗・邪淫)、口業に四種(妄語・綺語・両舌・悪口)、意業に三種(貪欲・瞋恚・愚痴)ございます。
身三・口四・意三を合わせて十業と成し、身口意は相互に順随します。十業を造作した後、これらの業行は刹那毎に滅しますが、業種子は作用を終えて消滅する際、阿頼耶識に記録され残存します。この記録を担うのは我々に最も密接な阿頼耶識でございます。阿頼耶識は種子を現行させ、再び収蔵する過程で、業行の種子を同時に蓄積する故でございます。
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