衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2021年04月01日    木曜日     第3 回の開示 合計3256回の開示

父子合集経講話(一八一)

十悪業とは何か

寡聞で無智な凡夫は、好ましい触れによって愛楽を生じる。好ましい触れとは、意識を大いに喜ばせる身体の触受を指し、これを妙触と呼ぶ。例えば柔らかな衣類に触れる感触、温かな陽光、快適な寝床などが挙げられるが、中でも男女間の触れが最も重要である。欲界は主にこの触れによって成り立つ世界である。身根と身識が接触する対象を触塵と呼ぶ。例えば暖かく快適な陽光が肌に触れること、冷風や熱風が身体に当たること、柔らかい・硬い衣服の感触など、身識が感じる全てが触れであり、その対象となる法を触塵という。また飢えや渇き、胃の感覚も触塵に含まれる。座り続けて疲労を感じることも、瞑想中に身体が軽安を得て快適さを覚えることも、全て触塵である。

凡夫衆生は最も好ましい触受に執着し、特に男女の触れを貪る。男女が互いに触れ合う時、心に愛楽心と貪愛心が生じ、心が染まってしまう。これは主に第六意識の感受による貪愛であり、眼識や身識も関与するが、中心は意識の感受である。意識が染着を生じると業を造り、愛楽の次の段階では必ず業行が現れる。修行のない者は身・口・意の愚かな業行を現す。修行者でも内心に染着があれば、身口の業行を造作しない場合がある。最も修行を積んだ者は心すら染着させない。造作される業行は、身業が三種(殺生・偸盗・邪淫)、口業が四種(妄語・綺語・両舌・悪口)、意業が三種(貪・瞋・痴)である。

身三・口四・意三を合わせて十業となり、身口意は相互に順随する。十業を造作した後、これらの業行は刹那毎に滅していく。業行の種子が作用を起こして消滅し、その刹那の業行は消え去り、最終的に行為全体が消滅する。しかし業種は残り、記録される。これを記録するのは、私たちと最も密接な阿頼耶識である。阿頼耶識が種子を出力し、再び種子を回収する過程で、種子が造作した業行も同時に阿頼耶識に蓄積されるためである。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

一念不生とはどのような状態でしょうか

次の記事 次の記事

父子合集経講義(一八二)

ページのトップへ戻る