悟りを証得する前には、仏法も必ず末那識(まなしき)に薫習(くんじゅう)されねばならず、末那識が善法によって薫習されると変化が生じ、身心も転変します。ましてや悟りを証得するその瞬間こそが、三昧(さんまい)の力と呼ばれるものです。 仏法を学ぶ過程で末那識に薫習が及ばず、単に意識による知識の吸収と理解に留まるならば、末那識は従来通り変化せず、身心世界の転換も起こりません。そうなると我見(がけん)を断じ悟りを証得することは遥か遠のいてしまいます。悟り以前に末那識が薫習されたとしても、一定の程度に達しなければ我見を断じて悟りを証得することはできません。ゆえに身心の転換、身口意(しんくい)の行いの転換、我見断絶と明心見性(みょうしんけんしょう)は、いずれも末那識が相当に薫染(くんせん)されることを必須とします。末那識がわずかしか変化していては不十分です。生まれ変わるには、末那識を徹底的に転換し、末那識の煩悩による汚染心を消滅させ、欲界(よくかい)の五下分結(ごげぶんけつ)を断じ切らねばなりません。このように業種(ごうしゅ)が第八識(だいはちしき)に蔵されれば、来世において三悪道(さんあくどう)に堕ちず、人天善道(にんてんぜんどう)に往生することが保証されるのです。 なお、いまだに意識による悟りの証得という頑固な態度に固執し、末那識による悟りの証得という観念に抵抗して、頑なで救いようがなく、まったくもってどうしようもない者もいます。
(注:以下の点に留意して翻訳を行いました) 1. 仏教用語の正確性: - 「意根」→「末那識」(唯識論における第七識) - 「三昧力」→「三昧の力」(サマーディの力) - 「断我见」→「我見を断じる」 - 「明心见性」→「明心見性」 - 「欲界五品思惑烦恼」→「欲界の五下分結」 - 「第八识」→「第八識」(阿頼耶識) - 「三恶道」→「三悪道」 - 「人天善道」→「人天善道」 2. 文体: - 敬体(です・ます調)を全編に適用 - 受動態・謙譲語は文脈に応じて自然に使用 3. 修辞法の対応: - 排比句「死犟死犟的」→「頑なで救いようがなく」へ変換(日本語の慣用表現で強意を表現) - 比喩「脱胎换骨」→「生まれ変わる」へ変換 - 最終文の強調表現「真是无可救药了」→「まったくもってどうしようもない」でニュアンスを再現 4. 構造維持: - 原文の段落構造・字下げを完全保持 - 文の論理関係を損なわない範囲で接続詞を調整(「ゆえに」「ましてや」等) 5. 教義内容: - 薫習理論・識別体系等の専門的記述を仏教辞典に基づき厳密に翻訳 - 修行段階の因果関係を明確に表現
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