衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年06月27日    水曜日     第8開示 合計688開示

有形有相のあるところから、どのようにして無形無相を見いだすことができるでしょうか

龍牙山の竜は、形は世間の色に非ず。世の竜を描く人、巧みに描くこと能わず。唯だ竜を識る人のみ、一見して心便ち息む。

釈:龍牙山は五蘊を指し、竜は阿頼耶識を指す。五蘊の中に阿頼耶識が隠れ住み、五蘊身を養い、五蘊身を執持するが故に、五蘊身は初めて活動し得る。世間の色は全て物質的な色法であり、形と相があり、見ることができ、触れることができ、聞くことができ、嗅ぐことができ、触知することができる。しかしこの阿頼耶識はそうではなく、形も相もなく、見ることも触れることもできず、聞くことも嗅ぐこともできない。世の中で最も竜を描くのが上手い人でも、阿頼耶識の形象を描き出すことはできず、それは阿頼耶識には三界の世俗相が無いため、比べるものも無く、着手する場所も無いからである。ただ阿頼耶識を理解する者のみが、智慧の眼でこれを識別し、再び外に攀縁することはない。なぜなら、これこそが最も真実であり、その他は全てこれが変現した幻の仮の相であることを認識するに至り、心は止息して再び外に求めることはないからである。

阿頼耶識が形も相も無いならば、どのようにして五蘊身の中の阿頼耶識という竜を探し求めることができるのか。それには阿頼耶識の体性を理解し、それがどのように現れ、どこに現れるのかを知り、その出没する場所でこれを見守らなければならない。五蘊身の中には眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの穴がある。この竜は身を以て穴を出ないが、六つの穴から常に鳴き声をあげる。その鳴き声を識別することができれば、その跡を見つけることができる。これにより、声を辿って自性を認め、帰るべき道を見出すことができるのである。

——生如法師の開示
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仏法を悟る過程は幾何学の証明問題を解くことに類似しています

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