衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2021年03月29日    月曜日     第1開示 合計3242開示

どのように修定しますか

初期の瞑想修習方法は数多く存在します。初心者が禅定に入る方法については、『修定与参禅证道』という書籍でいくつか説明されています。例えば呼吸を調え、呼吸を整えた後に礼盤で礼拝の動作を行う方法や、身体を調えてから坐禅を行うなどの小技法は比較的取り組みやすく実用的です。また、坐禅中の心の観想法や、心が特に散乱している際の真言・経典唱誦による心の調え方、心が安定した後の参禅への精進方法についても同書で解説されています。段階を追って練習するために参照できますし、音声ファイルもあり、より詳細な説明がなされています。心が少し安定した後、真に我見を断ちたい場合には『坐禅三昧経』と『四念処経』に基づいて修行します。経典で説かれる修行方法は止(サマタ)と観(ヴィパッサナー)の両方を修める優れたもので、四念処を修めれば、将来大乗のいずれの見道の段階においてもその方法で精進できます。その修行方法は止観等持であり、功夫が十分に至れば見道が保証され、仏法を証得できます。

長年瞑想を修めている人の中には、修行方法は優れていて禅定も深いのに、その定が淀んだ水のように智慧を生まず、定力が高まると何事も行わず、終日禅定に入ることを好み、色身の快適な感覚受容に執着する場合があります。そうなると参禅する智慧がなく、観行の智慧も不足するため、仏法の見解は非常に浅薄になります。一部の人はひたすら瞑想のみに専心し、覚照(目覚めた観察)を起こさないため智慧が育たず、臨終の際も業に従って転生します。結局のところ我見を断っておらず、生死を離れる智慧も、大乗菩薩の明心見性の智慧もないため、来世の生死輪廻は免れません。定力を以て観行し参究することによってのみ、我見を断ち明心見性が可能となり、生死の問題が解決されるのです。これが最も重要な点です。現代の仏教修行者には二つの極端な傾向が見られます。一つは専ら瞑想を修めるが智慧を備えず観行しようとしない極端、もう一つは全く禅定を修めず、意識心による広い学識や散乱した思考、解釈のみに心を用い、証得に心を用いない極端です。この二つの極端を融合して初めて仏法を証得できるのです。

——生如法師の開示
前へ前へ

父子合集経講話(一七四)

次へ 次へ

父子合集経講話(一七五)

ページトップへ戻る