問:陽炎観と如夢観はそれぞれ小乗の何果に相当しますか。
答:如夢観を修めるときには、すでに禅宗の第三関を通り過ぎており、第三関は小乗の三果に相当します。初禅定において貪欲と瞋恚という二つの煩悩を断除しています。如夢観を過ぎると初地に入り初地菩薩となり、唯識の種智を具えます。
陽炎観を修めるときには、小乗の二果あるいは三果に相当し、自他によって起こるあらゆる心の動きが砂浜の陽炎の幻影のように実体のないものであることを証得します。なぜならこの時、現量をもって如来蔵が如何にして画家が墨を散らすように第六識・第七識の心を幻化しているかを観察できるからです。第六識・第七識の心の造作はまことに不実在で、有るようで無く、無いようで有るかのようです。
あらゆる観行には禅定が必要であり、禅定の中で観行して初めて法を証し、各々の関門を通り抜けることができます。そうでなければ一つの関門も通り抜けられません。三果を証得して煩悩を断除する時には必ず初禅定がなければならず、第三関以後は必ず初禅定が求められます。第二関以前及び二果以前には必ず未到地定がなければならず、未到地定がなければいかなる法も証得できず、ただ理解するだけで、痛くも痒くもない状態に留まります。
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