禅宗を修行する者が参禅によって自心を明らかに悟った後、さらに修行を継続することを悟後の修行と呼びます。悟前には真実の心である如来蔵を証得しておらず、智慧が発現していないため真の修行ができませんが、悟後には如来蔵を証得し智慧が生起するため、自らが修めるべき内容が明らかになります。悟後に門をくぐると、修めるべき仏法の内容が極めて膨大であることに気付き、世俗に精力を費やすことを厭い、すべての時間を仏道に捧げたいと切望するようになります。そのため一部の修行者は閉関修行を選択します。この段階に至れば修行の道を誤ることはなく、法義に対する弁別力も備わるため、精進すれば道業は自然と向上します。
悟後の修行内容とは何か。禅定の修行、つまり四禅八定を修めて定力と道力を強化することがその一つです。初禅の定を獲得すれば煩悩を断じ、心は解脱を得て禅宗三関を突破する力を得、如来の家に入り真の仏子となります。悟後の各種観行は全て禅定を基盤とし、これなくしては三関を突破できず、深遠な仏法を証得することはできません。また悟後には経典を読み三蔵十二部を漸次に通達する必要があります。如来蔵を証得すれば経典の理解が容易となり、般若智慧を増長させ後得智を発起できるからです。悟後は十住位・十行位・十回向位を修め、禅宗三関を突破し初地に入ることが主な修行内容となります。
悟後の修行内容は極めて多岐にわたるため、禅宗の祖師方は通常悟後に閉関を選択します。悟前には各地の道場を巡り善知識を訪ね、あらゆる手段で悟りを求めますが、閉関はしません。仏法の脈絡を知らず参禅の要諦を理解していない段階では閉関は無益で、徒に時間を浪費するだけだからです。
悟後に閉関を選ぶのは、仏法の総相智を獲得し如来蔵を観察参究する智慧が備わり、修行が偏らないためです。閉関中は諸法における如来蔵の働きを観察して深い別相智を得るとともに、経典を学び智慧を向上させます。悟後の修行では初関を突破しても第二関、第三関が待ち受け、特に大乗経典三蔵十二部の修学には閉関による静修と専心の時が必要で、世俗の障りを受けずに修行を進めることが求められます。
六祖慧能は悟後、経典を学ぶ教養がなかったため禅定を選択し、猟人の隊で15年間禅定を修行しました。その間、定中で如来蔵と五蘊の和合作用を観行し般若智慧を深め、15年の修行を経て禅定を成就し神通力を得た後、弘法の因縁が熟したと判断して初めて猟人の隊を出ました。
六祖は悟後15年にわたって壇経を説きましたが、悟後の保任について言及することはありませんでした。彼の座禅は意識心を保任して念を起こさず心を清浄にするものではなく、真実の心が本来清浄であることを知り、改めて清浄にする必要がないと悟っていたからです。
そもそも真実の心は外力によって変化せず、変容するのは妄心のみです。六祖は座禅入定によって如来蔵を保任する必要を説きませんでした。如来蔵は保任を要しないからです。彼は悟後如来蔵を証得した時点で、真実の心が不退転であることを確信していました。六祖の修行内容は四禅八定と如来蔵の作用観察による別相智の具現化、そして禅宗三関の突破であり、他の祖師方の修行方法と異なる点も多いものの、より深い智慧の獲得という目的は共通していました。
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