なぜ末那識は緊急時に措置を講じて危険を回避し、危機を脱することができるのか。末那識はどのようにして遭遇した状況が危険性を帯び、自身の生命の安全を脅かすものであると知るのか。末那識はどのようにして事故が発生しようとしていることを識別し、判断するのか。
まず、ここで意識には事柄の危険性や回避方法、措置の取り方を仔細に分析する時間が全くないことを説明する。そしてほとんどの場合、事態が発生し終わり、リスクが過ぎ去った後で初めて、意識はさきほど一体何が起こったのかを知り、さきほどが非常に危険であったことを知るのである。その時、神に感謝するか、ある種の神霊に感謝するかはともかく、最も感謝すべき末那識には気づかない。では、末那識の何に感謝すべきなのか。
末那識は無始劫(むしごう)以来、無数の出来事を経験しており、どのような事柄が自身にとって有利で、どのような事柄が自身にとって有害であり、生命の安危を脅かす可能性があるかをすべて知っている。末那識はまた、阿頼耶識と共に生々世世(しょうしょうせせ)にわたり色身(しきしん)に縁(よ)って、色身の大まかな状態、どの部分が重要で命根(めいこん)に関わるかを理解している。したがって末那識は往々にして危急の局面において、意識の分析や判断を待たず、自ら単独で様々な緊急かつ重大な突発事件を処理し、事故の発生を回避して生命の安全を保障するのである。
様々な突発事件が発生する際、もし末那識が意識の分析・思考・推理・判断を待ってから、解決処理の方法を考えていたのでは、もはや間に合わず、おそらく生命は保てないだろう。したがって我々は末那識の機敏さに感謝し、末那識の無始劫以来の貴重な経験に感謝し、末那識の言い分を許さない果断さと機転に感謝し、末那識のあの自動的な危険回避の智慧に感謝すべきである。だからこそ我々は、末那識がいつもあんなに愚かで、あんなに鈍いなどと決して言ってはいけない。末那識が機転を利かせるとき、我々ははるかに及ばないのである。
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