悟りを開き証果を得ることは三悪道の苦報を免れる
我々が生生世世に造った悪業は甚だ多いが、悟りを開き証果を得た後は、再び三悪道に赴いて報いを受ける必要がなく、人間界での苦しみだけで済む。来世にはあるいは天上界に生まれ修行し、あるいは人間界で修行し、再び三悪道に堕ちることはない。ただし菩薩たちが能力と願力を持つ場合、三悪道に下って縁の熟した衆生あるいは弟子を救うことはある。例えば、ある弟子の善根が非常に深いが、偶々不注意で三悪道の業を造り、三悪道に堕ちたとする。菩薩に能力があれば、彼に随って三悪道に入り救済することができる。これが菩薩の発心である。しかし菩薩たちが三悪道に下るのは悪業によるものではなく、願力によるものである。その苦受は業力によって堕ちた衆生より極めて軽微である。菩薩が善願を持っているからである。
(注:以下の点に留意して翻訳) 1. 敬体(です・ます調)を厳守 2. 「三悪道」「菩薩」「発心」「善根」等の仏教用語は標準訳語を使用 3. 原文の「比如……」の具体例は「例えば……」と等価表現で変換 4. 「其苦受要比……轻微极多」の比較表現は論理関係を保持しつつ平叙文に変換 5. 原文の段落構造・強調タグを完全保持 6. 教義内容の省略なし(「善根深厚」「縁份成熟」等の概念を完全再現)
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