大乗の修行法と小乗の修行法の本質
修行とは心を修めることである。心を正しく修めるためには、まず自らの心が虚妄であり実体のないものであることを認識し、貪着する六塵の境界が虚妄で実体のないものであることを悟らねばならない。その後に定観の修行を重ねることで、心の虚妄な貪求・欲求・想念・感受を滅し、心の煩悩と無明を断ち切る。これによって生死輪廻の苦しみから解脱するのが小乗の修行法である。大乗の修行法とは、心を明らかにして悟りを開き、阿頼耶識を見出すことにある。その運行する場所を知り、いかなる作用をなし、いかにして作用し、いかにして妄心と和合し、いかにして万法を生じ、いかにして私たちの識心を顕現させるかを理解する。阿頼耶識の心を見出した後は、その不生不滅の性質を証得すると同時に、これが五陰身の我を生じた本体であることを知る。故にこれが生み出す五蘊は空であり虚妄であり幻化であることを悟り、これが生じる十八界が空・幻化であり実体なきものであることを証する。これは同時に小乗の空の果報をも証得することになる。私たちが悟りを開く時、大乗の果位を証得すると同時に小乗の果位も証得し、二つの果位を同時に得るのである。小乗の空の果位を証得する場合、必ずしも大乗の菩薩の果位を同時に証得するとは限らないが、大乗の菩薩果位を証得する時は必ず小乗の初果の果位を同時に証得し、同様に三悪道の業種も消滅するのである。
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