世俗法における欲求は徒労で有害なものである
五欲六塵の境界が夢の如く不実なるものであるならば、我々は修行に心を用いるべきである。六塵の上に如何に心を砕いても、徒労に終わるのみならん。それは虚妄の心の欲求を満たすに過ぎない。実のところ、このような欲求は必要のないものである。この欲求のために、我々は多くの無意味なことを行い、また多くの悪業を造作するのである。もしそれらの世俗法上の欲求がなければ、我々は正常な人間、覚醒した人間、清浄な人間、業障なく煩悩なき人間となるのである。
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