衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年07月05日    木曜日     第2 回の開示 合計711回の開示

明心以前に我見を断つことが極めて重要です

現代においては、衆生の善根が浅く福徳も乏しく、煩悩の性質が強いため、修学の次第はまず我見を断じ、その後禅を参じて心を明らかにする必要があります。心を明らかにして密意を悟るだけで我見を断じることはできず、密意は容易に推測できてしまいます。五陰十八界の我を否定する過程を経なければ、我見を断つことは叶いません。

この過程は極めて重要です。この過程なくして密意を知る者は、推測や推理の要素が多く、結果的に密意は理解できても我性が除かれず、その後全ての行いは依然として「我」という概念に縛られたままとなります。以前は小心翼々と振る舞っていた者が、その後は拠り所を得たかの如く公然と行動するようになるのは、かえって危惧すべき状態です。

よって各人が心を明らかにする前に、必ず五蘊の無我性を観行し、我性を断じ、悪業の種子の流れを絶たなければ、真の名に恥じない無我性の菩薩となることができます。この過程を経ず我見を断たずに密意を得た者を、私は明心菩薩とは認めません。他で認可を受けることについては関知いたしません。

多くの仏教徒は無我解脱を求めながら、自らの心に無我を観行せず、言葉や行動や念いの造作は依然として「我」に固執し、自己だけでなく他人にも執着し、自己を操り他人をも支配しようとします。これでは道に背き、いつまで経っても無我を修め心の解脱を得ることはできません。

身口意の行いが無我に近づくほど、心は解脱し自在となります。これが仏法修学の究極目標です。修行は世俗的利益のためではなく、世俗の利益を捨ててこそ出世間法の最大利益を得、世間の一切の利益を獲得できるのです。この理を悟らねば、全ての行いは無明に過ぎず、煩悩の深淵から脱することはできません。

実際、世間的利益など存在せず、全ては虚妄の法で究竟的に得るものはありません。世俗界の全ての法を深く観行すればこの理が明らかになります。なぜ「我」に執着し続けるのでしょうか。

一切の法と自我利益を握り締める両手をそっと緩め、ゆっくりと放せば、天地の広大さと心の豁達自在さに気付くでしょう。無量劫にわたる過去世の苦悩は全て「我」という概念から生じ、常に「我」のために苦しみながら何ら利益を得られずにいました。今こそ無我解脱の法に遇い、この機に自我を捨て早く解脱と自由を得るべきではありませぬか。

——生如法師の開示
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