衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年03月23日    火曜日     第1開示 合計3221開示

悟りを得るためには何が必要ですか

問:私の全ては如来蔵から変化したものだというなら、どうすれば如来蔵を見ることができるのでしょうか?それはただ感じ取ることしかできないのでしょうか?例えば、私が座禅を組んで法塵を見たとき、それが如来蔵の幻化であると知り、意根による作意があることを知り、意識が理解していることを知り、如来蔵が一切の法のところにあることを知っても、やはりその本来の姿を見ることはできません。現量の境では法塵が見え、それに対する覚知と分別があるだけで、他には何も見えず、それらの幻化の説も聞いた話に過ぎません。どうすれば真に如来蔵を見ることができるのでしょうか?

答:まず、あなたのこうした知見は全て理論的知識に由来するもので、推理や推測、推量による解釈に属しており、どれも真実とは言えません。したがって、これらの内容を知っていても、自心にとって実質的な影響はなく、実際にはこれらの知見は知らないのと同じです。いくつかの識の作用については依然として混乱しており、逆境に遭えば疑念が増し、これまでの認識を否定するかもしれません。その見解は反対になる可能性さえあります。真に如来蔵を見るとは、理論に基づいて推理するのではなく、如来蔵を証知することです。如来蔵を証知するには多くの因縁と条件が必要であり、まず業障を消除し、福徳を増やし、定力を具足させ、信心を円満にし、戒律を厳格に守り、忍辱の功夫を高め、これら一切の法に精進して修め、最後に般若智慧を具足させる必要があります。

要するに、如来蔵を証得するとは凡夫の心を菩薩の性質に転換させることであり、あらゆる面で菩薩と見合うものでなければなりません。煩悩性障を軽減し、菩薩の大いなる福徳を具足させ、心の広さが菩薩と同じく広大で、常に衆生に順じ、大きな心を発して衆生を利楽し、戒・定・慧が菩薩に近づく必要があります。これらはあたかも生まれ変わるようであり、身心の世界に一定の変化が生じ、凡夫の段階とは明らかな差別と大きな進歩が見られなければなりません。要約すれば、菩薩の六波羅蜜万行を具足させる必要があり、それが不足すれば見道して真の菩薩となることはできません。今から計画的に段階を踏んで自己を全面的に完成・向上させ、因縁の時節が熟するのを待ちましょう。焦る気持ちを持たず、得喪に一喜一憂せず、功利的な心を持たず、発心は大きく、因において努力し、果においては縁に随うことです。

——生如法師の開示
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アビダルマ倶舎論 第九巻

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