衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年03月22日    月曜日     第3 回の開示 合計3219回の開示

父子合集経講話(一六四)

三解脱門

原文:大王よ、知るべし。諸根は幻の如く、境界は夢の如し。一切の諸法はことごとく空寂である。これを空解脱門と名づく。空に空の相なし、これを無相解脱門と名づく。もし相なきがあれば、則ち願求するものなし、これを無願解脱門と名づく。かくの如き三法は空と共に行じ、涅槃への先駆けとなる。法界の如くに決定し、虚空際に周遍す。この譬喩について、かくの如く知るべし。

釈:大王は知るべきである。眼耳鼻舌身意の六根は幻化されたものであり、六根が感知する様々な境界は夢幻の如く実体がない。一切の法は全て空寂であり、これが空解脱門である。諸法が空であっても空の相を離れていることを無相解脱門という。もし一切の法に相がなければ、何らの願求も生じない、これを無願解脱門という。この空・無相・無願の三解脱門は空と共に存在し、涅槃への道を歩むべきである。涅槃を求めるには、まず一切の法が実相法界であり、阿頼耶識の一真法界であって、十方の虚空際に遍満していることを知り、その後初めて涅槃を証得できる。これらの譬喩については、このように理解すべきである。

眼耳鼻舌身意の六根は全て幻化されたものであり、眼が見る様々な境界、耳が聞く様々な境界、六根が対応する境界は、夢の中の事柄の如く真実ではない。我々がさらに何を求めようとも、一切の諸法はことごとく空寂であり、空でないものはなく、寂滅でないものはない。何ものも存在しない、これが空解脱門である。一切の法が空であることを証得し、空であると知れば、解脱を得るのである。

——生如法師の開示
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