常に色・受・想・行・識の機能作用は、如来蔵から来るものであり、全て如来蔵によって生じ与えられたものだと観じ続ける。次第に、生じられた法は不自在なものであり、真実性を持つことができないと深く認識できるようになる。真実性が無ければ、いわゆる我性という実体も存在せず、不自在な法に我性はあり得ず、我であるはずがない。
これらの観念は次第に形成され、一定の境地に至れば我見を断じ、さらに速やかに我執の煩悩を断除できる。それにより身心ともに自在を得る。我見が断じ難いのは、過去無量劫以来の非理なる観念が深く心に染み付き、容易に転換できないためである。観念が転じなければ我見は断たれない。観念の転換こそが修行の最重要課題であり、古い思想観念が一旦転換されれば、従前の邪見妄想を容易に覆し、正しい知見を確立して大智慧を得、五陰の身心が解脱を得るのである。
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