眼識は色を了別し、耳識は声を了別し、乃至意識は法を了別す。この三者が和合して触となることは、極めて重要である。根が塵に触れなければ識は生じず、識が塵に触れなければ識は何の作用もなし得ない。各識はどのような塵に触れるのか。各識の触れる範囲を明らかにし、六識がなくとも何ができるかを思惟すべきである。無色界の衆生は色身五根を持たぬのに、何故に意識が存在するのか。これらの問題を明らかにすれば、将来悟りを開く際には証悟となる。さもなければ定力が不足し、観行できず、せいぜい解悟に留まる。今や解悟する者は増えつつあるが、何らの受用もなく、煩悩は依然として甚だ重い。
根が塵に触れて識を生じ、根が塵に触れなければ識は生じない。命終の際に四大が先ず分解する時、なお識が存在する故に、極めて苦痛を感じる。各人の色身は自らの第八識が執持するもので、自らの色身の変化もまた自らの第八識の作用の結果である。然らば、如何にして人は他人を殺害し、他人の色身の状態を改変し得るのか。意識がなければ五識は生起せず。六塵を了別するは意根の決定に由り、意根が主宰を為す。意根は必ず法塵に触れ、意根が決定せず主宰を為さねば、第八識は五識を生ぜず。而して意根が主宰すれば即ち法塵に触れ、必ず意識を生じ、意識もまた五識の俱有依となる。
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