一切の法は真妄和合によって生じる。真とは真如の心を指し、妄とは妄心の七転識を指す。五陰世間における一切の活動は八つの識が共同で和合運作した結果であり、菩薩の日常生活・学仏修行・弘法利生も、真を離れず妄をも離れず、衆生は永遠に真と妄に依存して初めて生存し得る。真があるからこそ妄を顕現できる、故に真は重要である。もし妄がなく真のみ存在すれば、衆生は存在できず、一切の法も存在し得ない、故に妄もまた重要である。
七識心は生滅変異するものであるが、滅却すべきではない。滅却できない以上、改造すべきであり、改造が完成すれば仏となる。我々が学仏修行するとは、七識の妄心を修め、七識の全ての無明を破尽し、七識の一切の染汚を転化し、七つの識を無明の識性から智慧性へ転換させることである。転識得智を成し遂げた後、修行は円満に終結する。故に修行の目的は七識を滅却するのではなく七識を転換することにあり、一切の境界を滅却するのではなく一切の境界を転換することにある。三界世間の一切の虚妄法を清浄無垢なものへ転換させた時、それが仏の境界である。
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