衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年03月20日    土曜日     第1開示 合計3209開示

阿毘達磨倶舎論第九巻

(五)原文:若缘起支。唯十二者。不说老死果。生死应有终。不说无明因。生死应有始。或应更立余缘起支。余复有余。成无穷失。不应更立。然无前过。此中世尊由义已显。云何已显。颂曰。从惑生惑业。从业生于事。从事事惑生。有支理唯此。

解釈:もし縁起支が十二支のみであるなら、老死の果を説かずには、生死には終わりの時があるはずであり、無明の因を説かずには、生死には始まりの時があるはずである。あるいはさらに其余の縁起支を立てるべきであり、其余の外にまた其余があるとすれば、無窮に尽きない過失が生じてしまう。だからそれ以上他の支分を立てるべきではない。そうすれば先の過失はなくなる。この道理について、世尊はすでに義理によって示されたのである。どのように示されたのか。頌にこう説かれている。愚痴迷惑から煩悩惑の業行が生じ、煩悩の業行から事用が生じ、事用によって事をなすとき煩悩惑がまた生じる。縁起有支の道理はまさにこれである、と。

原文:论曰。从惑生惑。谓爱生取。从惑生业。谓取生有。无明生行。从业生事。谓行生识。及有生生。从事生事。谓从识支生于名色。乃至从触生于受支。及从生支生于老死。从事生惑。谓受生爱。由立有支。其理唯此。已显老死。为事惑因。及显无明。为事惑果。无明老死事。惑性故。岂假更立余缘起支。故经言如是。纯大苦蕴集。若不尔者。此言何用。

解釈:論に説く。愚痴迷惑から愚痴迷惑が生じるというのは、愛から取が生じる過程のことである。愚痴迷惑から煩悩の業行が生じるというのは、取から有が生じ、無明から行が生じる過程のことである。煩悩の業行から事用が生じるというのは、行から六識が生じ、有から生が生じる過程のことである。事用から事用が生じるというのは、識から名色が生じる過程、触から受が生じる過程、そして生から老死が生じる過程のことである。事用から煩悩惑が生じるというのは、受から愛が生じる過程のことである。

——生如法師の開示
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父子合集経講記(一五九)

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阿毘達磨倶舎論第九巻

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