衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年03月19日    金曜日     第5 回の開示 合計3208回の開示

父子合集経講話(一五九)

大王、いささかなりとも法は、この世より他世に至ることはありません。その故はいかに。性が生滅するがゆえです。大王、身識が生ずる時、来る所なく、滅すれば去る所なし。かの業が生ずる時、来る所なく、滅すれば去る所なし。初識が生ずる時、来る所なく、滅すれば去る所なし。その故はいかに。自性が離れているがゆえです。かくのごとく了知せよ。身識は身識として空、自業は自業として空、初識は初識として空。滅するも滅は空、生ずるも生は空。業の転変を了知し、作る者なく、受ける者もなし。ただ名相のみありて、分別を顕わす。

釈:仏は説きたまう。大王、いかなる法もこの世から来世へ流転することはありません。なぜそう言えるのか。一切の法の自性は生滅を繰り返すものであるため、常住不変ではないからです。臨終に五陰が滅尽する時、一切の法はことごとく滅び去ります。大王、身識が生起する時、来処なく、滅する時も去処なし。業を造作する時、業行に来処なく、業行が滅する時も去処なし。来世の最初の識心が生起する時、来処なく、滅する時も去処なし。

なぜ一切の法に来処も去処もないのか。一切の法は全ての性を離れ、一切の法の自性には一切の相がなく、自体の性質が空であり、了不可得であるからです。このようにして身識を了知し、身識の自性空を了知せよ。このようにして自らの識心が造作した業行を了知し、業行の自性空を了知せよ。このようにして初識を了知し、初識の自性空を了知せよ。このようにして一切の法が生ずるもその生は空、滅するもその滅は空であることを了知せよ。同時に業行の造作と流転には作者もなく受者もないことを了知せよ。一切の法はただ仮相と名相による分別の顕現に過ぎないのです。

——生如法師の開示
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