衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2018年08月25日    土曜日     第2 回の開示 合計798回の開示

秘された意根の心所法

仏は『大念住経』において、受を観ずる際に内受と外受の二種の受を説かれました。外受とは観察しやすい意識心の受、特に六塵の境界における意識の受を指します。内受とは深く隠れていて観察しがたい意根の受を指します。大多数の人は意識と意根を区別できませんが、心の奥底の思想活動は、心が細やかであれば感知し観察することが可能です。

仏が心を観ずることを説かれた際、心を観察するには内心と外心の貪欲・瞋恚・愚痴の煩悩を観察し、内心と外心の集中と散乱・広大と狭小・有上と無上・定あるものと定なきもの・解脱と非解脱を観察せよと説かれました。これは内心である意根に貪瞋痴の煩悩があり、定あるものと定なきもの、解脱と非解脱があることを示しています。小乗経典からも、世尊が明言されていないものの、意根にこれらの心所法が存在することが証明されています。意根の法は大乗の弟子でさえ理解し証得することができず、ましてや小乗の弟子が意根の法を深く正しく理解することは困難であるため、世尊は意根の心所法を秘匿的に説かざるを得なかったのです。

疑惑の煩悩には内疑惑と外疑惑があり、疑惑を断ずるには究極的に意根の疑惑を断じなければなりません。故に三結(三縛結)は完全に意根の結びを指し、意根の疑惑を断ずることが真に三結を断つことになります。貪欲を断つとは意根の貪欲を断ち、心を色界天人に相応せしめ、色界天に生ずることを可能にします。瞋恚を断つとは意根の瞋恚を断ち切って初めて三果人となります。愚痴を断つとは意根の無明を断ち切り、三界を出離するに至るのです。

小乗仏典は最も理解しやすいとされますが、いったいどれほどの人が真に小乗の法を理解できるでしょうか。ましてや大乗経典を完全に理解し得る者などいるのでしょうか。阿羅漢果を証した者でさえ、その智慧が不十分で意が究竟していないため、意を完全に信ずれば容易に誤りを生じるのです。

——生如法師の開示
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