現代の仏教徒に普遍的に見られる現象は、禅定を修める条件と福徳が共に不足しているため、定力を養い難いことです。表面的には多くの人々の物質的生活水準が確かに向上しましたが、出世間法である仏法に用いられる福徳は甚だ不足しています。
禅定が修まらず内心が空寂でない者は、常に自己の内心を点検し内観すべきです。心の中が欲界における財・色・名・食・睡で満たされていないか、欲界の諸法や人事物理に執着していないか、これらの欲界法に対する深い執着が禅定を阻む病根となり、禅定の修得を困難にしているのです。この病根を見出したなら、直ちに除去する方法を考え、絶えずこれらの法の虚妄性と不実性を思惟分析観察し、執着性を軽減すべきです。
美食を好み、快適を求め、享楽を貪り、称賛に執着し、欲界の人間法に何もかも執着し、世間の全ての事柄に固執する者が、禅定を修得することは不可能です。人生への追求が多ければ多いほど、人生への希望と興味が強ければ強いほど、禅定は得難くなります。心に物が詰まれば心の負担は重くなり、空寂を得られず軽安を体得できないからです。もし世間に対する様々な貪愛や憎嫉怨恨などを幾分か降伏させることができれば、禅定は速やかに現れます。
もしも念念五陰世間に執着し、攀縁が甚だしければ、禅定の生起はあり得ません。五陰世間への厭離の心が生じ、欲求がなくなって初めて欲界定が現れます。欲界天人の五陰生活環境に厭離して初めて色界定が現れます。もしも世間の一切に常に希求心があり、心が常に境に趣くならば、より殊勝で勝妙なものを受け容れることは極めて困難です。
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