衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月05日    金曜日     第4 回の開示 合計880回の開示

意根が証悟してこそ智慧が生まれる

意根の慧力に関する問題について、意識のすべての智慧は意根に落とし込まれてこそ成功と見なされ、種子が蓄積され、後世において有用となり、最終的には意根の慧力が一切の作用を起こすのである。意根が証果を得るには初果から四果に至るまで、また心を明らかにするには初めの明心から成仏に至るまで、全て意根の慧が作用する。意識の慧の結果とは、意根に智慧を具えさせ、意根が識を転じて智と成し、大智慧を具足させ、最終的に仏となることである。

意識の慧と意根の慧の区別は、意識が論理的思考・分析・推理の作用を有し、比較的抽象的な思考が可能である点にある。これに対し意根は抽象的な思考ができず、具体的なもの、物語性のあるもの、映像的なものを必要とし、現量的であればあるほど良く、現実的であればあるほど良い。意根には分析的思考能力が乏しく、論理的推理判断を行うのが困難であり、この面では意識に依存する。他の現量的な度量は完全に自己完結し得るが、意識の補助があれば最速で最善である。故に図像や映像を伴い、眼前の情景や状況がある場合、意根は比較的相応し、意識の記憶も牢固となり、非常に理解し易くなる。これがその理である。六根が互いに通じ合い作用する時、意根は意識に代わり、五識にも代わる。楞厳経に説かれる大迦葉の円明瞭知、心念に依らないという記述は、この理を明らかにしている。

——生如法師の開示
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《瑜伽師地論》巻51

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