衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2021年03月14日    日曜日     第4 回の開示 合計3186回の開示

『父子合集経』講話(一五〇)

空・無相・無願の三法は段階的に進み、究竟の解脱に至る

空にして空の相無きを無相解脱門と名づく。空の法には、見ることも語ることも指し示すこともできる相はなく、空すらも空なり。これが無相解脱門である。空には何の相もなく、空すらも存在せぬことを知れば、心はさらに解脱する。もし空の相すら存在せず、空すらも無いならば、何を空に執着する必要があろうか。もし相すら存在しないならば、我々は何を求める必要があろう。もはや何も求める必要が無い。これが無願解脱門である。願求の心が無くなればさらに解脱し、空・無相・無願の三解脱門を成就すれば、即ち聖人となる。

空・無相・無願の三法は空と共に行じ、空から離れることなく、また空の相も無く、三者は相互に分離せず段階的に進み、究竟の解脱に至る。我々が涅槃に入り、不生不滅を求めんとするならば、かくの如く修行すべきである。絶え間なく空の心行を生じ、ますます空じ、空すらも空ずれば、初めて空は清浄に成就する。もし心にまだ空が存在するならば、真実の空ではなく、なお空の心を滅すべきである。涅槃の道においてかくの如く修学すれば、涅槃を証得せん。涅槃とは即ち解脱なり。涅槃とは即ち不生不滅なり。涅槃とは即ち寂静無為なり。涅槃とは即ち大自在なり。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

父子合集経講話(一四九)

次の記事 次の記事

汚れた意根はなぜ汚れた前六識のみを生み出すのでしょうか?

ページのトップへ戻る