衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年03月14日    日曜日     第3 回の開示 合計3185回の開示

父子合集経講話(一四九)

三解脱門

原文:大王知るべきことあり。諸根は幻の如し。境界は夢の如し。一切の諸法は皆ことごとく空寂なり。これを空解脱門と名づく。空にして空相無きを、無相解脱門と名づく。もし相無きことあらば、すなわち願求無し。これを無願解脱門と名づく。かくの如き三法は空と共に行じ、涅槃の先道は法界の如く決定し、虚空際に周遍す。この譬喩において、かくの如く知るべし。

釈:大王は知るべきである。眼耳鼻舌身意の六根は幻化されたものであり、様々な境界は夢の如く実体がない。一切の法は全て空寂である。これが空解脱門である。諸法が空であるにもかかわらず空相が無いことを無相解脱門という。もし一切の法に相が無ければ、何らの願求も生じるべきではない。これを無願解脱門という。このように空・無相・無願の三解脱門は空と共に存在し、涅槃への道を歩むのである。涅槃を求めるには、まず一切の法が実相法界であり、阿頼耶識一真法界であって十方虚空際に遍満することを知らねばならず、そうして初めて涅槃を証得できる。これらの譬喩については、このように理解すべきである。

眼耳鼻舌身意の六根は全て幻化されたものであり、眼が見る様々な境界、耳が聞く様々な境界、六根が対する境界は、夢の中の如く真実ではない。我々が更に何を求めようとも、一切の諸法は皆空寂であり、空でないものは一つもなく、寂滅でないものは一つもない。これが空解脱門である。一切法空を証得し、空であると知れば、すなわち解脱するのである。

——生如法師の開示
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