衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年03月09日    火曜日     第2 回の開示 合計3168回の開示

薫習の力

衆生の間には互いに薫染する作用があります。どのような人と一緒に過ごすかによって、知らず知らずのうちにその人の習気、性格、品性、善悪の心行などが薫染されます。例えば人が犬を飼い、常に一緒にいる場合、犬には犬の習性があり、人には人の習性があります。長い時間をかけて犬の眼差しや動作、飲食、起居動作の習慣を見ていると、いつの間にか犬の習性や心性が薫染され、自分では気づかないうちに、容貌さえもかすかに変化することがあります。しかし犬は人からより強く薫染を受けます。人の力が犬を上回るため、相互薫染の中で犬はより多く重く影響を受けるのです。そのため犬の習性は人に近づき、来世では人身を受ける縁が生じ、人間として生まれた際には人情に通じ、聡明で機転が利くようになります。

犬が人に薫染されるのは良いことですが、人が犬から薫染されるとどうなるでしょうか。類は友を呼ぶと言いますが、人が常に犬を見ていると、容貌も徐々に変化します。気づきにくい程度ですが、今生では変わらないか僅かな変化でも、来世で薫染の種子が熟する時には変化が現れます。もし犬と一緒に過ごすことに慣れ、深い情愛を育み親密な関係を築けば、中陰身の段階で犬の境界が現れ、知らず知らず犬に従って犬胎に堕ちることになります。

例えば吃音のある人と常に一緒にいるとします。その人が言葉を滑らかに話せずどもっている様子を、最初は気にしなくても、長く接しているうちに次第に話し方に障害が生じ、時が経つほど障害は大きくなります。これは徐々に薫染された結果です。薫染される要素には容貌、話し方、口調、習慣、飲食の仕方、起居動作の習慣などが含まれます。

私たちが今修行しているこの段階では、非常に薫染されやすい状態にあります。悪法は善法よりも薫染されやすいのです。なぜなら私たちの心は煩悩が善をはるかに上回り、煩悩に慣れ親しみ善法には抵抗を感じるからです。例えば人々の中で他人の是非を論じる場面に出会うと興味を抱き、自らもその是非争いに加わります。他人の善行を称賛する場面では同調せず、口を閉ざしてしまうことが多いのです。自分と関係が良く利用価値のある者は例外ですが、井戸に石を落とす者は多く、雪中に炭を送る者は稀です。ですから修行によって自らを変えようとするなら、善人に近づき煩悩の重い人を遠ざけ、是非を好む人や場所を避けなければなりません。そうすれば心は次第に善に近づき、悪から離れ、煩悩を降伏させることができます。煩悩業を造りにくくなり、悪業の種子を残さず、来世は軽やかで煩悩の障りがない状態となるでしょう。

——生如法師の開示
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