衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年03月05日    金曜日     第1 回の開示 合計3155回の開示

瑜伽師地論 第十巻(十二因縁)

(三十九)現観智諦現観、現観智諦現観を具える者は、一切の出家の果位を得ることができ、一切の清浄なる功徳を引き起こし、残りの現観智慧を生じさせ、善道において清浄なる果報と業を感得することを助ける。現観智諦現観を成就した有学無学者は、永遠に虚妄なる我見に依って造作することなく、所作は全て無我であり、自らが証得した法に対して永遠に疑惑を生じず、永遠に雑染汚れた処に出生せず、出生する所においても再び貪染することはない。現世の生活と修行において、全ての世間の事相が清浄となり、染汚不浄がなくなり、声聞・独覚・大乗法を誹謗せず、悪業を造作せず、五逆罪や七逆罪を犯すこともなく、再び三界において第八度の出生をすることはない。これが初果極七有の意味である。

現観辺智諦現観、この智慧は見道後に得られる。どの見道において得られるかというと、第三品の見道、初禅定と智慧が双運する三果と四果の見道後に得られる現観智であり、先の世間智を縁として下地(欲界)と上地(色界初禅天)及び欲界と色界初禅天の二種の安立された真実理を観察して得られる境界である。法智と類智の世俗智に属し、世間智と出世間智に通ずる。四聖諦の各諦の観行において、忍可欲楽智と現観決定智が現れる。このように前の諦の現観に依って、上の諦と下の諦の観行において二種の現観智が生起する。これが現観辺智諦現観である。現観辺智諦現観を成就した三果四果の者は、永遠に他者の詰難を恐れない。なぜなら現観智が深く鋭く、解脱道の法義に通達しており、彼を難じ得る者なく、全ての難問を善巧に解答できるからである。

究竟現観、これは四果阿羅漢が証得した現量観行の智慧である。四果阿羅漢は修道所断の一切煩悩現行を断尽し、三界の有を滅尽する智慧を得、後世に再び出生しない智慧を得る。あるいは衆生を憐れんで救済の心を発し、後世に再び世に出生するが、一切の煩悩現行がなく、依然として世間永滅の智慧に依って立つ。これが究竟現観である。世間永滅の智慧を究竟に証得し、世間究竟空の智慧を究竟に証得することが究竟現観である。以前の現観にはまだ漏れが尽きていないため、未だ究竟現観ではない。

究竟現観を成就した大阿羅漢は、永遠に五戒を犯さず、故意の殺生・不与取・淫欲・妄語・財宝の蓄積と受用を行わない。ここでいう淫欲とはあらゆる種類の淫欲を指し、軽重を問わず、世俗法が許容するか否かを問わず、道徳的か非道徳的かを問わない。阿羅漢果を証得すれば必ず出家僧であり、在家者は一人もおらず、いかなる家族も持たないため、正淫の説も存在しない。ここでいう妄語とは、世俗法における故意の虚言を含むあらゆる妄語を指す。阿羅漢は未来に起こり得る未知の事柄を永遠に恐れず、世間の全ての苦楽を虚妄として自作・他作・自他作と計らず、非自非他の無因生と妄記することもない。究竟現観を成就した大阿羅漢は世間の一切の生死の大苦から解脱し、此の身が最後の身となり、再び後有を受けることはない。ただし留形住世する者は除く。

——生如法師の開示
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