衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年03月04日    木曜日     第1 回の開示 合計3152回の開示

布施による異なる果報

問:主観的に故意に布施を行うことの果報は何でしょうか。

答:主観的に自発的に布施を行うことは、個人が福徳を修めることであり、来世の果報は当然福を得ることです。その中で他者の利益を侵害せず、他者が利益を得ることを妨げず、かつ布施の対象も利益を得るため、結果として双方が利益を得るのです。もし仏道を成じ衆生を救済するために福徳を修める心を発すれば、現世来世の福徳はさらに大きくなります。何のためでもなく、何も求めず、ただ布施の機縁に遇って縁に従い布施を行い、縁に応じて布施を実践し、心を空ずるならば、この福徳はさらに大きく、無為の福が最も大きいのです。これは『金剛経』において仏が説かれたことです。

布施行を修めるには次第があります。まず自らが福を得るために布施を修め、次に心をさらに広くして衆生が利益を得るために布施を修めれば、この布施は波羅蜜となり解脱の彼岸に至ることができます。さらに心を広くして心を空無の願とすれば、修めるのは無為の布施となり、仏の記別を受けることができます。心の広狭は全て福徳によって決まり、福徳が小さければ心量も小さく、福徳が大きくなれば心量も広大になります。よって菩提心を発し大願を立てることも、福徳の支えによるのです。福徳が大きくなれば視野が広がり遠くを見通し、智慧が広大無礙となるのです。

——生如法師の開示
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