衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年03月03日    水曜日     第3 回の開示 合計3150回の開示

破戒の基準

問:楞厳経において、阿難が初果を証得したと説かれていますが、摩登伽女に誘惑され、戒を犯すところでした。もし楞厳咒に救われなければ、破戒によって三悪道に堕ちたでしょうか。

答:阿難は外道の邪咒を用いた摩登伽の母に騙され、淫女の屋敷に引き込まれたのであり、自ら進んで入ったのではありません。初果の阿難の禅定力では、外道の強力な邪咒に抵抗できず、邪咒が阿難を阻み、抵抗力を失わせました。しかし阿難は決して自ら戒律を破る行為はせず、三悪道に堕ちることはありません。ちょうど禅定力が不足している者がアルコールの迷わす力に抗えず、酒気が心に入ると昏沈して正気を失うようなものです。このアルコールは自らの意思で飲んだのではなく、他人に強引に飲まされたり、計略で飲まされたりした場合と同じです。阿難の場合は外道に強制的に咒法を施され、修行が未熟で抵抗できなかったのであり、自ら進んで邪咒を受け入れたのではありません。一旦邪咒が心に入れば、阿難も正気を保つ術がなくなります。幻覚剤の作用を受けた者が自覚なく妄動するように、これは個人の意思によるものではなく、自ら進んで迷いを選んだわけではありません。故に煩悩を抱えた自発的破戒行為には該当せず、三悪道に堕ちることはないのです。もし阿難が迷わされている最中に貪欲の心を起こさなければ、いかなる状況でも戒を犯したとはみなされず、受動的破戒にも該当しません。完全に心を動かさず貪欲を断つには、三果以上の境地に至り貪欲を尽くさねばなりません。凡夫は意識で制御しようとしますが、意識は外力に支配されやすいため、意識のみを修め広く学んでも道力は健全になり得ず、阿難のような結果を招くのです。

極めて強い外力が作用する場合、修行者の道力が不足していれば影響を受けざるを得ません。五陰中の色陰が尽きなければ色陰の影響を受け、受陰が尽きなければ受陰の影響を受け、想陰が尽きなければ想陰の影響を受けるのは避けられない理です。

いつ五陰の影響を受けずに色陰尽・受陰尽・想陰尽を得られるのでしょうか。最低でも四禅定を修めた時でなければなりません。四禅定において初めて色陰・受陰・想陰を断尽し得るのです。さもなくば誰もが五陰の影響を受けます。身体あるが故にこの大患あり、身無ければ患い無し。故に道を修め、禅定を修め、意根に至るまで修行し、五受陰を断じて心を解脱させる必要があるのです。

小乗における破戒の判断は外見の行為のみを見ます。五戒・比丘戒・比丘尼戒に行為が適っていれば破戒ではないとします。一方、大乗が菩薩の破戒を判断する際は主に心が戒を犯したか、行為中に心が動いたかを見ます。心が動かなければ清浄です。しかし凡夫は外見の行為しか見えず、真の心行を見抜けず、誤審が多発します。もし人が表面上善行をなし他者を利するように見えながら、心行が全て自己利益のためであり、行為が仮相による欺瞞で、心の目的と行為が一致していなければ、その者は善行をなすのでも他者を利するのでもなく、己を利しているのです。このような行為を仮相とする欺瞞は、福どころか罪を招くことになります。

——生如法師の開示
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